しんぶん赤旗九州・沖縄面2008年8月27日(水曜日)
水曜随想
反戦の思いつまった碑
衆院議員 赤嶺政賢
鎮魂の月8月、長崎市と宮古島市で、土地の人々の反戦平和の思いがつまった碑との出会い
があった。
長崎の原爆資料館の敷地に「ふりそでの少女像」がある。原爆資料館に展示されている「悲しき別れ―荼毘」という絵をきっかけにして建立された像だ。その絵には、二人の少女が、材木を積み重ねた上に横たえられ、炎がもえうつろうとしている瞬間が描かれている。
京都綾部の中学生たちが、93歳になった少女の母親との交流のなかで建立したのが「ふりそでの少女像」だ。
宮古島市に、千葉県の歌人・高澤義人氏の歌碑がある。高澤氏は、沖縄戦当時、旧日本軍の衛生兵の任務についていた。歌碑は、戦後60年を機に宮古歴史教育者協議会のメンバーが戦争の惨禍を風化させないために建立した。正面には「補充兵 われも飢えつつ 餓死兵の骸(むくろ)焼きし宮古よ 八月は地獄」とある。
歌碑の裏には「餓死兵を夜毎井桁に重ね焼くわれに一粒の涙なかりき」を初め4句刻まれ「食糧や医薬品の補給はなく、マラリヤ、飢餓のため連日のように死んでいく兵を荼毘に付す作業にあけくれた」という説明文がある。
その隣の場所に「慰安婦」祈念碑が近く建つ。宮古島の女性たちによってとりくまれている。
宮古島市にはすくなくとも16ヵ所の慰安所があった。祈念碑が立つ場所は、与那覇博敏さんが提供してくれた。与那覇さんは、少年時代、自宅の近くに慰安所があったことを鮮明に記憶している。「きれいなお姉さんたちが洗濯の帰りに座って歌を歌っていた場所」が提供される土地だ。碑文は、日本軍によって被害をうけた女性たちの故郷の11の言語とベトナム語を加え、12の言語で刻まれる。
与那覇さんは、日本兵たちが、毎晩、「明日の知れない命なら お酒飲んだり女郎買いしたり 私や待ちましょう九段坂」と騒いでいたことも記憶していた。
彼女たちの苦難の歴史を記憶し、恒久平和を次の世代に伝えたいという与那覇さんの思いを大切にしたい。
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